鳥とめもないメモ帳

3歩歩いても忘れないために

『「女の子写真」の時代』を途中まで読んで

写真をかじってきた者の端くれとして、写真史的な本を読んでいるので、思ったことを書いてみたい。

 

「女の子写真」の時代

「女の子写真」の時代

 

 

 

 

物心がついた時には、写真は女性社会だった

インスタグラムが爆発的に普及した昨今、1億総写真家時代とさえ言われるようになった。そして、その写真家の中心は「女の子」である。もちろんお分かりだとは思うが、それは撮られる側としての女の子ではなく、撮る側としての女の子の台頭である。しかしこれは何もここ数年で始まったことではない。僕は学生時代に写真部に所属していたが、当時すでに過半数は女子部員だった。今でも、昔のイメージを引きずって、写真部というのは男性が多いと思っている人もいるのだが現実は全くそんなことはなく、おそらくここ20年ぐらい、むしろ女性の方が多いぐらいなのだ。今は30代以下中心の社会人サークルに所属しているが、状況は同じである。しかし、この状況は昔は当たり前ではなかったのだろう。90年代初めまでは、写真を撮ることは男の趣味だったはずなのである。実際に、中高年の社会人写真サークルは男性ばかりのように見える。この変化は90年代に起こったものだ。僕は物心がついていないので、その変化を知らなかった。最初から女の子の世界だった。この本は、その変化を起こした中心的な写真コンテストである「写真新世紀」の仕掛け人が、「女の子写真」がどうやって広がっていったのか(当時、ブームとさえ呼ばれる状態だったらしい)を詳述している稀有な本である。インスタグラム時代を生きる我々が、そこに至る歴史を知る必読の書と言っても過言ではない。インスタグラムにどっぷりハマる現代人にこそ、読んで欲しい本である。

自分の無力さについて

「女の子写真」を見ていると、自分の写真活動の無力さを思い知る。彼女たちのセンスや感性の前では、僕の知識や技術なんてものは全く歯が立たない。もちろん、僕の知識や技術なんてのは、全く深くもないし、すごくもない。でも、それらを例え深めたり、なんかすごい感じにしても、彼女たちのセンスや感性には敵わないと確信できる。そして、僕が求めてやまないものも、そういったセンスや感性なんだと改めて確信した。同時に、それは社会の、時代の大きな流れの一部であって、僕がそれを求めること自体、僕が全く社会や時代に抗えていない、むしろ全力で(無力なことに)流されていることを意味している。これは僕にとってはちょっとした衝撃だった(ほんとはちょっとどころではなかったかも知れない)。僕はこれまでの人生で変な人になろうとしてきたように思う。実際変な人だと言われることもある。でも同時に普通の人でもあろうとしてきた。そして、僕のセンスやら感性みたいなのの、理想形みたいなものは、どうやら普通の、時代の流れに沿ったそれだったらしい。全く変ではなかったわけだ。これは結構なショックである。
今後僕がどのような写真活動を続けていくか(というかそもそも僕は写真が好きなのかカメラが好きなのか、それともそのどちらでもないのか、それさえわからなくなってきている。たぶん最初はカメラが好きだったと思うのだけれど)、それを、それらを考えるきっかけになった、なっていくように思う。

 

 

 

「女の子写真」の時代

「女の子写真」の時代

 

 

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